先日、41歳を迎えました。そのお祝い?と言うことで家族でびわ湖バレイに。
もちろん私の運転で!疲れました・・。しかもあいにくの天気。


最初からわかっていてのですが、子供に言われた一言で、この日にここに行く意味を感じました。
「せっかくなんだし、行ってみれば良いじゃん」と。
大人になると損得ばかり考えます。天気が悪くても楽しめるところはないかとか、もっと近場はないかとか。大切なことはそんなことではないはずだと、純粋な言葉にハッとすることはよくあります。

時間について、最近よく思うことがあります。
歳を重ねると時間が早く過ぎると感じる人が多いようですが、私はむしろ時間がゆっくりと流れているように感じます。
仕事柄、日々考えることが多いせいかもしれません。
そう言うと、なんだか「考えることが面倒だ」と言っているように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。私は考えることが好きです。そして、それが形になった時には何よりの喜びを感じます。
ただ、昔に比べて「考える量」も「深さ」も増したと感じます。
だからこそ、自分の中で日々積み重なっていく思考が、良い刺激となって、私は毎日に退屈していないのだと思います。
「人生は暇潰し」という言葉があります。
以前ブログにも書いたことがあるこの言葉の意味が、少しずつわかるようになってきました。
若い頃、「人生の意味」を追い求めていた時期がありました。
でも今は、「意味なんて最初からない。どう意味あるものにしていけるか、それを自分で決めていくものだ」と思うようになりました。
「暇を潰している」のではなく、
「暇という隙間に、自分なりの意味を与える」。
そんな時間の使い方ができているからこそ、私は今、自分の人生に納得しながら生きていられるのかもしれません。
ここで、自分のために書いておきたいことがあります。
自分の人生の中で最も大切なのは「時間」です。
家族や趣味、仕事、お金や情報。どれも大切なものです。
でも、どんなに立派なことを言っても、それは結局のところ「自分が納得したい」「自分が満たされたい」から。
つまり、すべては自己満足だと思うのです。
そして、それでいいんだと思います。
今この瞬間、どう時間を過ごすか。どう過ごしたいか。
家族との時間。
好きなことをする時間。
お金を稼ぐ時間。
どれも大切に思えるけれど、それらはすべて、自分自身の人生の隙間を埋めるための選択でもあります。
あまりに極端な言い方かもしれません。
でもこれは、私自身だけでなく、関わってくださる人に向けた願いでもあります。
「どうか、自分の人生を大切にしてほしい」と。
家族のために、会社のために、誰かのために──
そのように生きることも美しいけれど、
それ以前に、まずは自分のために生きることが何より大切だと私は思います。
自己中心的とか、自分に酔っているとか、そういうことではありません。
純粋に、自分を大切にするという姿勢。
それこそが、一つの“人生哲学”なのだと思います。
だから、考えたいのです。
「時間が大切だ」と感じる今、
何に時間を使うことを選び、
何を捨てる勇気を持てるのか?
多くのものが大切だとわかっていながら、
その中でどれに“命の時間”を注ぐのか。
選ぶということは、
他の何かを捨てるということ。
私はこの数年、日々というものを、ただ流さず、観察するように過ごしてきました。
どんな風に暮らし、どんな風に思い、どんな風に考えてきたか。
そうした積み重ねが、自分の人生に意味を与えてくれたように思います。
結論。
まずは、自分を大切にすること。
それが、家族や大切な人を思いやる余裕につながり、
明日を頑張るための活力となり、
人生を支える“根”になるのだと、私は思います。
だから、大切な人が困っていたら、自然と手を差し伸べられる。
相手にも、「自分を大切にできる余裕」を渡してあげたい。
見返りなど、いらない。
それで、いい。
すべては、自分の納得のために。
すべては、自己満足でいいのです。
そういう人生が、きっと楽で、後悔のない人生なのだと思います。
これが、「詩家」の始まりです。
日々を、美しく。
まずは、あなた自身の暮らしが、尊く、美しいものでありますように。
これはただのブログです。
私が私のために残すもの。
でも、これが誰かの心に何かを灯せたなら、それ以上のことはありません。