先日、2年半前からご相談をいただいていた方の家を、お引き渡しさせていただきました。
間取りがが変わり、土地が変わりと、条件もご予算も変わり、長い長い家づくりとなりました。
その中で、当初の計画では言ってみれば一般的な形での提案が多かったのですが、お話を進めていくうちに最初では想像もつかない間取りに変わっていきました。
当初から現在のプランを提案していたらどうだったのかな、そんなことを考えますが、何が言いたいかというと、正解は時間と共に常に変わり続けるということ。
言ってしまえば正解などなく、最初からこの提案だったらそれは不正解だったのかもしれないと思うのです。
この情報化社会の中で、正解を見つけやすくなったのか、見つけにくくなったのか・・・
他人の正解を自分の正解のように感じる事が多くなり、人と違うことがなんだか良くない事のように感じてしまう。それは色々な方とお話しさせていただく機会が多いのでよく感じています。
昨日のブログでも話した悩みの事とも少しリンクしますが、本当の正解は情報の中にはないと思うのです。以前からそんなことを言ってきたつもりですが、正解は案外目の前に転がっていたりするものです。
本当にいい家の定義とは何でしょうか。
その答えは純粋無垢な子供の心にあるのではないでしょうか。
色々な事が自分でできるようになってきて、小学校生活にも少し慣れてきた私の娘は7歳です。彼女にこんな質問を投げかけてみました。
自分にとっていい家とはどんな家??
「大切なものを安心しておいておける場所」
だそうです。
どうやら、ぬいぐるみやらアクセサリーやら、自分の宝物が、他の誰かに持っていかれないようにセキュリティハウス?みたいなのが良いそうです。ん〜、マインクラフトに完全に洗脳されています。
それでも誰かと比較することなどありません。
あくまでも自分の気持ちや想いでしか判断ができません。
私たちはいつから余計なことを考えるようになってしまったのでしょうかね。